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NLP相関図

NLP 相関図

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NLP 相関図

NLP は、「テクニックの寄せ集めにすぎない」と言われることがあるようですが、これほど事実とはかけ離れていることはないことは、2000 年に NLP 共同開発者のロバート・ディルツジュディス・ディロ-ジャが NLP ユニバーシティ から出版した『体系的 NLP と NLP 新コーディングの百科事典』全二巻の存在を知るだけで充分かと思います。この百科事典は、A4 のサイズで、各巻 800 ページ、計 1,600 ページの大書です。

この中で、私のメルマガの読者から、「NLP 相関図を作っていただけませんか?」というリクエストがありましたので、この Web ページを使って、NLP の誕生に影響を与えた人々、および NLP と姉妹、従姉妹関係にあって、NLP と相互影響しあっている学派および思索者を紹介することにします。

なお、この相関図は、欧米では多くの NLP ピア (NLP 専門家) に受け入れられてきますが、もろもろの理由からこれまで日本にはこのような NLP の『認識論的』背景がほとんど伝わってきていないのは、非常に残念なことだと思います。

このページにある NLP 相関図は、あくまでも、NLP ピアとして専門知識をさらに深めたいと思う人々の研究支援ツールであり、これらの知識がなければ NLP テクニックを学べない、体感できない、ということはありません。

NLP は「左脳的知識を右脳知識に落とし込む」ことにかけては絶大な効果を現わしますが、左脳的知識がなくても、充分自己変容の効果を体験することは可能です。


注意 1: 以下の各人物の名前のリンクをクリックすると、その人の概要説明にアクセスできます。
注意 2: 相関図の目次はこちらです。
注意 3: 以下の相関図は、NLP に影響を与えた学派と学者をすべて網羅しているわけではありません。


まず、「NLP の父」と称せられるのは、英国生まれの文化人類学者、グレゴリー・ベイツンと世界最高権威の催眠療法医、ミルトン H. エリクソンです。

NLP 共同創始者のジョン・グリンダーリチャード・バンドラーが 1975 年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校で NLP を創始したときにその師だったベイツンは、「認識論」(我々が知っていることをどのように知っているかについての科学) の観点から、NLP の共同創始者に多大な影響を与えました。ベイツンの存在なしに NLP の誕生を考えることは 100% 不可能です。

ベイツンはバートランド・ラッセルの認識論に大きく影響されていて、ラッセルの源泉は、17 世紀のイギリス経験主義にあると考えても妥当です。

イギリス経験論者には、ジョン・ロックジョージ・バークリーデイヴィッド・ヒューム等がいました。NLP 共同創始者のグリンダーはこの中でも特にヒュームに影響を受けています。

ベイツンは、20 世紀のサイバネティックス、情報理論、システム理論、量子力学等の学問を基に、過去三百年間優勢を誇ったデカルトニュートン的な「還元主義」から脱却し、システム全体を考慮し、「固体よりも関係性を重視」するホーリティステックでエコロジカルなアプローチを提唱しました。すなわち、「物質」の世界は、「プロセス」、「イベント」、「形態」、「パターン」の世界に取って代わられるべきことが主張されました。言い換えれば、「客観的世界」は、「観察者」自身とは切り離して考えられなくなり、たとえば、シグモント・フロイトが拠り所にした、(過去から未来に流れる) 線状的な因果関係は、宇宙の絶対的原則ではなくなりました。

サイバネティシャン/システム理論学者としては、サイバネティックスの創設者として知られているノーバート・ウィーナー、NLP に影響を与えた学者であるロス・アシュビーがいます。

ベイツンのワークの 20 世紀後半の学際的な学者への影響は絶大で、 『タオの自然学』を書いたフリッチョフ・カプラ、 「形態共鳴」の概念を提唱したルパート・シェルドレイク、「百匹目の猿」現象を報告したライアル・ワトソン、ビジネス界で「学習する組織」を提唱したピーター・センゲ等が彼の影響を受けています。さらに、後述のエリクソンの「後継者」は、全員、ベイツンの影響下にあります。

ベイツンは、「論理階梯の理論」を提唱しましたが、これと密接に関連している格言「地図は土地ではない」は、一般意味論者のアルフレッド・コージブスキーが唱えたものです。

また、ベイツン的な「還元主義」から脱却したホーリティステックでエコロジカルなアプローチは「パラダイム シフト」と呼ばれるべきものですが、この概念はトーマス・クーンによって提唱されました。

ベイツン的なパラダイム シフトに貢献している学者としては、量子力学者のデイビィッド・ボーム、NLP が取り入れた「TOTE」モデルの当初の開発者の一人であるカール・プリブラム、『意識進化のプロセス理論』を書いたアーサー・ヤング、「オートポイエーシス」の概念を提唱したウンベルト・マトゥラーナフランシスコ・バレーラ等の名前が挙げられます。

さらに、ベイツンと同じような学際的に大きな影響を与えている人物に建築家、数学者、発明家、思想家のバックミンスター・フラーがいます。

ちなみに、グリンダーは、NLP に最も大きな影響を与えた人の名前を一人挙げるとしたら、それは変形生成文法学者のノーム・チョムスキーであると、最近の著者の中で書いています。

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以上は、「NLP の父」の一人であるベイツン サイドでの NLP 相関図ですが、もう一人の NLP の父のエリクソン サイドの相関図は以下のとおりです。

通常 NLP を生み出した源泉としては、エリクソン、ゲシュタルト療法の創始者、フリッツ・パールズ、家族療法の母、ヴァージニア・サティアの三人が挙げられますが、これは、NLP の共同創始者のグリンダーとバンドラーがこれら三人の「心理療法の魔法使い」をモデリングした結果、『魔術の構造』を書いて、1975 年に NLP を創始したからです。

グリンダーとバンドラーをエリクソンのもとに送ったのはベイツンでしたが、ベイツンは 1960 年代、MRI (メンタル リサーチ インスティチュート) の理論的指導者でした。

MRI の重要な人物としては、『アンコモン セラピー』でエリクソンの名前を世間一般に広めたジェイ・ヘイリー、コミュニケーション分析家の第一人者、ポール・ウォツラウィック、短時間療法の MRI モデルを開発したジョン・ウィークランド等がいました。

他にも「エリクソニアン」としては、1980 年のエリクソンの死後エリクソン財団を創立したジェフリー・ザイグ、NLP 創始以前 NLP を共同開発していたステーブ・ギリガン、かつて『実用的な魔法』という NLP 入門書を書いたこともあるスティーブ・ランクトン、ソリューション フォーカス セラピーのスティーブ・デ・シェーザ、エリクソンの全四巻本全集の編者、アーネスト・ロシ等がいます。

前述したように、これらのエリクソン派の人物は、全員、ベイツンに強い影響を受けています。

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以上のベイツン サイドとエリクソン サイドとは少し方向性は異なってはいますが、パラダイム シフトを押し進めている現代の学派に「トランスパーソナル心理学」があります。この心理学は、カール・グスタフ・ユングの「集合的無意識」の観点から、「個」を超えた「超個」の領域についての明示的マッピングを図っています。3 人の卓越したトランスパーソナル心理学者はケン・ウィルバーチャールズ・タルトスタニスラフ・グロフです。


以上が、NLP 相関図ですが、NLP の総合的背景が理解できたでしょうか?

上記でも示唆したように、NLP は、300 年来デカルト/ニュートン的な「還元主義」から脱却し、「固体よりも関係性を重視」するホーリティステックでエコロジカルなシステミック アプローチに移る、20世紀の「パラダイム シフト」の認識論的背景が「実用的ツール」として顕在化された方法論であることが判明すると思います。

冒頭でも指摘しましたが、以上の認識論的背景を詳細に研究しなくても、NLP のテクニックの効果は充分体験可能です。


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NLP 相関図その 2

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NLP 相関図: 目次



注意 1: 上記の相関図の各人物の名前をクリックすると、その人の説明セクションにアクセスできます。
注意 2: 今後も、この相関図は追加拡張させていく予定です。
注意 3 下記の記述で、一部引用文への追加執筆と英文の引用翻訳はすべて北岡泰典によるものです。
注意 4: 本ページにある各写真使用権利については、現在、各該当団体と交渉中です。

 


ルネ・デカルト

ルネ・デカルト(Rene Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者・自然哲学者(自然学者)・数学者。レナトゥス・カルテシウス(Renatus Cartesius)というラテン語名から、デカルト主義者はカルテジアン(仏: Cartesien; 英: Cartesian)と呼ばれる。

考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」(Cogito ergo sum コギト・エルゴ・スム(ラテン語訳))は哲学史上でもっとも有名な命題の1つである。そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えである、真理の「信仰」による獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。

初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識(bon sens)はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。

また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母国語であるフランス語で書いた。その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きい、ともいわれる。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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アイザック・ニュートン

サー・アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton, ユリウス暦:1642年12月25日 - 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 - 1727年3月31日)は、イングランドのウールスソープ生まれ。イギリスの錬金術師・自然哲学者(物理学・天文学)・数学者で、本人は自然哲学を自認していたが、現代では近代科学最大の科学者の一人と評価されている。

ニュートンは、地球と天体の運動を初めて実験的に示した人物である。この科学的革命において、太陽中心説よりも進んだ太陽系の構造について言及した。また、ケプラーの惑星運動法則に関して数学的に証明を与えた功績でも知られている。

彼はケプラーの三つの法則を数学的に拡張し、天体の軌道が楕円だけではなく、双曲線と放物線をもあわせた軌道であることを示した。また、光の粒子説を唱えたことでも知られている。また、白色光がプリズムを通過する際に色分解され、色とスペクトルの関係について言及し、虹の色数を7色だとしたのも彼である。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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ジョン・ロック


ジョン・ロック(John Locke, 1632年8月29日 - 1704年10月28日)はイギリスの哲学者、社会契約論者、ピューリタン信仰者。ウェストミンスター校およびオックスフォード大学出身。アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。

彼は、王権神授説を否定し自然状態を牧歌的・平和的状態と捉え、公権力に対して個人の優位を主張した。政府が権力を行使するのは国民の信託 (trust) によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば革命権をもって政府を変更することができると考えた。革命権の考え方はのちにバージニア権利章典に受け継がれていく。

また彼は、名誉革命期、ハリントンの提唱した権力分立制を発展させ、立法権と行政権の分離を説いた。また、対内的な行政権を執行権、対外的な行政権を連合権と呼んだ。これがのちにモンテスキューによる三権分立論(司法権・立法権・行政権)まで発展する。

その他、政教分離を説いたり、フィルマーの家父長的政治を批判したりと、現実主義的な考えを展開している。

「マインドの中に入ってくるもので、まず知覚経路を通じて入ってこないものはない (Nothing comes into the mind without first entering through the senses.)」というイギリス経験論の信条は彼の言葉である。

一部オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
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ジョージ・バークリー

ジョージ・バークリー(George Berkeley, 1685年3月12日 - 1753年1月14日)はアイルランドの経験論の哲学者、聖職者である。

物質の客観性を否定した、「存在することは知覚されることである」("Esse est percipi")という基本原則の素朴観念論を提唱した。

彼においては、世界は観念であり、たとえば私が机を叩いてその硬さを認識したとしても、「机の固さ」としてではなく、「知覚として」認識しているわけであり、その原因は神であるという。ここに神を置いたのは彼が聖職者だからだといわれる。彼は知覚する精神と、神のみを実体と認めた。しかし、当時はその考えはあまり認められず、主観的観念論、独我論などといわれ批判された。

彼はニュートンの流率法(微積分学)を厳密な数学ではないとしてしりぞけた。分数 ds/dt はつまるところ無意味な式 0/0 であり、計算の途中では dt は 0 ではないとしながら、最後に dt が 0 に等しいと置くのは間違った推論であると述べた。

主書は『人知原理論』。

また、カリフォルニア大学バークリー校の所在地、カリフォルニア州バークリー市は彼にちなんだものである。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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デイヴィッド・ヒューム

デイヴィッド・ヒューム(David Hume、ユリウス暦1711年4月26日(グレゴリオ暦5月7日 )- 1776年8月25日)は、スコットランド・エディンバラ出身の経験論を代表する哲学者であり、歴史学者、政治思想家。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ヒュームはそれ以前の哲学が自明としていた知の成立根拠を問い、人間本性がなにかについての知に達することが原理的に保証されていないと考える徹底的な懐疑論を打ち立てた。 主著は『人性論』。

後世のドイツ哲学のイマヌエル・カントは「ヒュームは哲学を独断論の浅瀬に乗り上げることから救ったが、懐疑論という別の浅瀬に座礁させた」と批評している。

NLP 創始者のジョン・グリンダーはイギリス経験論者の中でも特にヒュームに影響を受けている。

一部オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
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バートランド・ラッセル

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 1872年5月18日 - 1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。第3代ラッセル伯爵。イギリスの首相を務めたジョン・ラッセルは祖父である。

ラッセルはアリストテレス以来最大の論理学者の1人であり、その業績は「ラッセルのパラドックス」の発見と、その解決法の探求のなかで成し遂げられた。

ラッセルは、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとともに、論理主義の立場から論理上で実際に数学を展開するという事業に取り組んでいたが、このラッセルのパラドックスのために、約2年間の停滞を余儀なくされている。

さらに、このパラドックスは、同時期に発見された類似の他のパラドックスとともに、数学の基礎に存在する深刻な問題と受け取られ、いわゆる「数学の危機」の震源となり、その解決をめぐって、ヒルベルトの「形式主義」やブラウワーの「直観主義」の誕生の切っ掛けとなった。

ラッセル自身のパラドクス解決の試みは、1903年、「階型理論」(theory of types) の発見により成功をおさめた。ラッセルは、この成功を礎に、階型理論に基づく高階論理上で全数学を展開するという一大事業を押し進め、その努力は、「数学原理」( Principia Mathematica )(1911-1913年)として結実した。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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グレゴリー・ベイツン

NLP は、20 世紀の 2 人の偉大な人々、ミルトン H. エリクソンとグレゴリー・ベイツンの影響の下に生まれた。

グレゴリー・ベイツン(Gregory Bateson, 1904年5月9日 - 1980年7月4日)は、イギリス生まれのアメリカ合衆国の人類学・社会学・言語学・サイバネティックスなどの研究者。遺伝学者ウィリアム・ベイトソンの息子。文化人類学者マーガレット・ミードの公私にわたるパートナーでもあった。 イルカのコミュニケーションの観察や精神病院でのフィールドワークから、「ダブルバインド」という概念で象徴される独自のコミュニケーション理論を構築した。

ベイツンは、20 世紀のサイバネティックス、情報理論、システム理論、量子力学等の学問を基に、過去三百年間優勢を誇ったデカルト/ニュートン的な「還元主義」から脱却し、システム全体を考慮し、「固体よりも関係性を重視」するホーリティステックでエコロジカルなアプローチを提唱した。すなわち、「物質」の世界は、「プロセス」、「イベント」、「形態」、「パターン」の世界に取って代わられるべきことが主張された。

言い換えれば、「客観的世界」は、「観察者」自身とは切り離して考えられなくなり、たとえば、シグモント・フロイトが拠り所にした、(過去から未来に流れる) 線状的な因果関係は、宇宙の絶対的原則ではなくなった。つまり、現代物理学の世界は、ニュートンの巨大な時計仕掛けではなく、イベントと関係性のネットワークになったのだ。

(注意: 通常、「Bateson」は、国内で「ベイトソン」と表記されています。)

一部オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
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フリッチョフ・カプラ

フリッチョフ・カプラ (Fritjof Capra、1939 年 2 月 1 日生まれ) は、オーストリア出身の米国物理学者です。

オーストリア・ウィーン出身のカプラは、1966 年ウィーン大学で理論物理学の博士号を取得しました。彼は、分子物理学とシステム理論の研究を行い、『タオ物理学―現代物理学の先端から「東洋の世紀」がはじまる』を始めとする科学の意味について大衆向けの書を著しました。『タオ物理学』では、物理学と純粋哲学は両方とも、動かしえない形で、同じ知識に至るという主張がなされています。 彼の著作はすべて、「あらゆるものの間には隠された関連性がある」という類似の主題を共有しています。カプラは、仏教徒であると同時に、カソリックキリスト教信者です。

オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳

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ルパート・シェルドレイク

ルパート・シェルドレイク (Rupert Sheldrake) は、1942 年 6 月 28 日英国生まれの英国の生物学者です。彼は、フランス哲学者のアンリ・ベルグソンの業績を踏襲して、『生命のニューサイエンス』の著書等で古い「形態形成場」の概念に基づいた「形態共鳴」理論を発展させました。また、動物と植物成長と行動、テレパシー、知覚、純粋哲学等の主題について研究書を著しました。 特に彼の書は素人の読書向けなので、熱心な支持層がいます。彼の概念の一部は賛否両論があり、一部の科学者からは似非科学的と見なされています。

オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳

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ライアル・ワトソン

1939 年 4 月 12 日生まれのライアル・ワトソン (Lyall Watson) は、植物学者、動物学者、生物学者, 文化人類学者, 動物行動学者で、ニューエイジ関連書を多く著しました。 最も有名な本は、ベストセラーの『スーパーネイチャー』です。ライアル・ワトソンは、自然現象と超自然現象を生物学的検知から解明しようとします。彼は、1979 年刊の『生命潮流』で「百匹目の猿」という表現を最初に使用しました。これは、科学界に興味と疑念を引き起こした仮説で、25 年経った今も、議論の的となっています。

彼は、ヨハネスバーグの南アフリカ動物園の園長、地元の探検隊隊長を務め、BBC プロデューサー、国際捕鯨委員会のセーシェル共和国代表院委員でした。

オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳

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ピーター・センゲ

ピーター・マイケル・センゲ (Peter Michael Senge) は、 MIT (マサチューセッツ工科大学) スローン経営スクールの組織学習センターの局長でした。現在 (2005 年) は、MIT の学部に勤務しています。彼は、組織学習協会 (SoL) の初代会長です。センゲは、1990 年代、『最強組織の法則 (The Fifth Discipline)』で、組織開発の指導的人物として脚光を浴び始めました。この本の中で、彼は、「学習する組織」の概念を展開しました。この概念では、組織は、継続的な適応と改善を行う状態にあるダイナミックなシステム (「システミックス」として定義されます) として見なされます。

オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳

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ロス・アシュビー

ウィリアム・ロス・アシュビー (William Ross Ashby、1903 年 9 月 6 日ロンドン生まれ、1972 年 11 月 15 日没) は、英国の精神科医で、複合体系研究のパイオニアでした。アシュビーは、サイバネティックス、 システム理論、および最近の複合体系の分野内では広く影響を与えましたが、彼自身は、ハーバート・サイモン、ノーバート・ウィーナー、ルートビッヒ・フォン・バータランフィー、スタフォード・ビア、スチュアート・カウフマンといった、彼のワークから影響を受けた著名な科学者ほどは名前が知られていません。

1946 年に、アラン・チューリンはアシュビーに対して、実験のために特別な機械を製作せずに、彼の ACE を使うよう提案する手紙を書きました。1948年、アシュビーは、「ホメオスタット」を考案しました。アシュビーは、彼のノートで 1954 年 12 月に一度だけチューリンの名前に言及しています。

オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳

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ノーバート・ウィーナー

ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener, 1894年11月26日 - 1964年3月18日)はアメリカ合衆国の数学者。ミズーリ州コロンビア市生まれ。サイバネティックスの創始者として知られている。

1906年9月に、11歳でタフツ大学に入学、1909年、14歳のときに数学で学位を取得し、ハーバード大学の大学院に入学した。ハーバードでは動物学を専攻したが、1910年、コーネル大学大学院に移籍し、哲学を専攻した。翌年再びハーバードに戻り、哲学を続けた。1912年、18歳のときに、数理論理学に関する論文によりハーバードよりph.D.を授与された。


そして、ケンブリッジ大学(イギリス)に留学し、バートランド・ラッセルの下で学ぶ。G.H. ハーディの数学の講義に感銘を受けたらしい。1914年には、ゲッティンゲン大学(ドイツ)でダフィット・ヒルベルトやエトムント・ランダウの下に学ぶ。その後ケンブリッジに戻り、再びアメリカに戻った。1915年-1916年にはハーバードで哲学講座の講師を一年間勤めた。その後ゼネラル エレクトリックで働いたり、百科事典『エンサイクロペディア アメリカーナ』の編集執筆者として働いた後、メリーランド州のアバディーン試射場で弾道学に関する仕事に就いた。戦争が終わるまでメリーランドで過ごした後、1919年、24歳のときに、マサチューセッツ工科大学(MIT)数学科の講師の職を得た。

MITに勤める傍ら、彼は度々ヨーロッパに渡航した。1926年にドイツ移民のマーガレット・エンゲマンと結婚し(彼らの間には二人の娘が生まれている)、その後再びグッゲンハイム研究員としてヨーロッパに渡った。彼はゲッティンゲンやケンブリッジで過ごしたほとんどの時間を、ブラウン運動やフーリエ積分、調和解析、Dirichlet問題、タウバー型定理などに関する研究に費やした。

第二次世界大戦中の、彼の射撃制御装置に関する研究は、通信理論への関心を総合し、サイバネティックスを定式化することへ彼を促した。戦後、彼は自身の影響力を行使し、ウォーレン・マカロックやウォルター・ピッツらの人工知能、計算機科学、神経心理学の分野における当時最も優れた研究者の幾人かをMITに招いた。ウィーナーはサイバネティックス、ロボティクスやオートメーションなどの分野で新たな境地を開拓し続けた。彼は研究において才能を発揮し続け、また彼の理論と発見を他の研究者と自由に共有した。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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アルフレッド・コージブスキー

アルフレッド・コージブスキー(Alfred Korzybski, 1879年7月3日 - 1950年3月1日)は、ポーランドワルシャワ生まれの学者。一般意味論の構築で有名。後にアメリカ合衆国に渡り、コネチカット州レークヴィルで死去。

コージブスキーはワルシャワ工科大学で学んだ。第一次世界大戦の時、コージブスキーはロシア軍の情報部員として働いた。脚などに怪我を負った後、1916年に北アメリカに渡り(最初はカナダ、後にアメリカ合衆国)、前線への大砲の出荷を進める調整を行った。彼はまたポーランド系アメリカ人の聴衆に前線の状況を説明し、戦時公債の販売促進も行った。戦後、アメリカに残ることを決め、1940年に帰化。彼の最初の著書 Manhood of Humanity は1921年に出版された。この本の中で彼は人類に関する新たな理論の詳細を記述している。それが「時間結合 (time-binding) を行う生命としての人類」である。

彼の最大の業績は一般意味論 (GS) と呼ばれる規範を確立したことである。コージブスキーが明確に述べているように、一般意味論は意味論とは全く異なる。一般意味論の基本原則は1933年に出版された『科学と正気』 (Science and Sanity) に詳しい。1938年、コージブスキーは Institute of General Semantics(一般意味論研究所)を設立した。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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トーマス・クーン

トーマス・クーン(Thomas Samuel Kuhn、1922年7月18日 - 1996年6月17日)は、アメリカ合衆国の科学史家・科学哲学者。「トマス・クーン」とも表記されることがある。米国オハイオ州シンシナティ市生まれ。

ハーヴァード大学で物理学を専攻し博士学位を取得。大学院在学中に物理学史の講義を担当したことをきっかけに、科学史研究に転じた。1962年に発表された主著『科学革命の構造』で、科学の歴史がつねに累積的なものではなく、断続的に革命的変化すなわち「パラダイムシフト」が生じると指摘した。

クーンのパラダイム概念は、科学史・科学哲学だけではなく、社会科学や現代思想、果てはビジネス本にまで登場するなど、人口に膾炙するようになったが、多くの場合、クーン自身が意図した限定的な内実からは外れている。こうした「流行」の要因には、時代(1960年代)的なものもあるが、クーン自身の記述の曖昧さも指摘されている。曖昧さについての指摘を受けたこと、概念の安易な拡大利用を嫌ったことから、クーンはその後、パラダイム概念を放棄し、専門母型(disciplinary matrix)という概念に変更した。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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デイビィッド・ボーム

デイビィッド・ボーム (David Joseph Borm、1917 年 12 月 20 日ペンシルベニア生まれ、1992 年 10 月 27 日ロンドン没) は、アメリカ生まれの量子力学者で、理論物理学、哲学、神経心理学の分野で、著しい貢献を残しました。

初期の頃、ボームは、物理学、特に量子力学と相対性理論の分野で多くの貢献を残しました。バークリー大学の院生だったボームは、プラズマ理論を展開し、現在「ボーム拡散」として知られている電子現象を発見しました。1951 年の出版の彼の最初の書『量子理論』は、特にアインシュタインによって評価されました。

ボームはその後、 量子理論の正統派のアプローチに不満を覚えるようになり、彼自身のアプローチ (ボーム解釈)、すなわち、 その予測が非決定論量子理論と完全に合致する「非局在的含み変数決定論」を展開し始めました。

オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳

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カール・プリブラム

カール・プリブラム (Karl H. Pribram、1919 年 2 月 25 日ウィーン生まれ) は、ワシントン DC のジョージタウン大学心理学および認知科学の教授です。彼は、神経外科医として訓練を受けたプリブラムは、スタンフォード大学で教授職に就き、脳梁についてのパイオニア的な業績を残しました。一般的には、彼は、認識機能のホロノミックな脳モデル開発者および記憶痕跡の継続的神経学的研究者として知られています。また、プリブラムは、「精神世界」の経験の神経身体的基盤についての研究も行っています。

オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳

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アーサー・ヤング

アーサー・ヤング (Arthur Middleton Young、1905 年 11 月 3 日パリ生まれ、1995 年 5 月 30 日カリフォルニア没) は、ベル ヘリコプターの発明者で、宇宙論者、哲学者でした。彼は、1972 年にバークリーに「意識の研究所」を創設しました。ヤングは、統合理論の一種である 「プロセス理論」を主張しました。これらの理論は、宇宙の概念が物理的に測定できる時限に制約されないような形で、人間の思考と経験の領域を科学の領域と統合しようとする試みです。ヤングの理論は、進化と「大いなる存在の鎖」の概念を含みとっています。彼は、スタニスラフ・グロフを始めとする思索者に影響を与えました。

著者には『われに還る宇宙―意識進化のプロセス理論 (The Reflexive Universe: Evolution of Consciousness)』等があります。

一部オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳
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ウンベルト・マトゥラーナ

ウンベルト・マトゥラーナ (Humberto Maturana、1928 年 9 月 14 日サンティアゴ生まれ) は、チリの生物学者で、その業績は、哲学と認知科学を網羅しています。

マトゥラーナとその弟子のフランシスコ・バレラは、 「オートポイエーシス」の概念を初めて定義し、使用しました。マトゥラーナは、また、神経生物学の経験主義的発見に基づいた相対認識論である「急進的構成主義」の創始者です。 彼は、また、進化の分野に重要な貢献を残しました。

マトゥラーナは、チリ大学でまず医学を学んだあと、生物学を専攻しました。1954 年、彼は、ロックフェラー財団の奨学金を受け、ロンドン大学で解剖学と神経生理学を学びました。1958 年にはハーバード大学から生物学博士号を取得しています。彼は、チリ大学の知識生物学研究センターで神経科学を教えています。

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フランシスコ・バレラ

フランシスコ・バレラ (Francisco Javier Varela Garcia、1946 年 9 月 7 日サンティアゴ生まれ、2001 年 5 月 28 日パリ没) は、チリの生物学者および哲学者で、その師であるウンベルト・マトゥラーナとともに、「オートポイエーシス」の概念を発展させたことで最もよく知られています。

彼の師のウンベルト・マトゥラーナと同様に、バレラはチリでまず医学を学んだ後、生物学を研究し、 ハーバード大学から生物学博士号を取得しました。1970 年提出の彼の論文は、「昆虫の網膜: 複眼の情報処理」に関するものでした。

1986 年、バレラはフランスに移住して、そこで、科学技術専門学校で認知科学と認識論を教えた後、パリ大学で神経科学を教えました。 1988 年から亡くなるまで、CNRS (国立科学研究センター) で研究グループを指導しました。

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バックミンスター・フラー

バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller, 1895年7月12日 - 1983年7月1日)は、アメリカ、マサチューセッツ州出身の建築家、数学者、発明家、思想家。現代のレオナルド・ダ・ビンチとも言われる。

独自の数学、物理学体系「エネルギー/シナジー幾何学」を構築。ジオデシック・ドーム(フラードーム)を発明。世界地図においても画期的なダイマクション地図を発明。 また、限られた資源を消費する一方の政治経済システムを批判し、地球経済や人類の活動を持続可能なものとするための「宇宙船地球号」の概念を提唱。

「炭素60」(C60)と呼ばれる炭素のクラスター状分子はジオデシック・ドームと同じ構造を持つことから、彼にちなんで「フラーレン」または「バッキー・ボール」と命名された。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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ノーム・チョムスキー

エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky, 1928年12月7日 - )は、マサチューセッツ工科大学教授。言語学者、思想家。各言語に普遍的な生成文法を提唱し、言語学に変革をもたらした。また生成文法は人間に生得的であるとする言語生得説をも展開した。チョムスキー以前の言語学では表出された言語形式を観察・記述する構造主義的アプローチが支配的であったが、これに対し生成文法は言語を作り出す人間(あるいはそのメカニズム)に着目した点が画期的であった。彼以降、言語学は認知科学や情報処理と強い親近性を獲得した。また、統語論の自律性を主張したことで、却って意味論や語用論などの隣接分野も浮き彫りにする形となった。この生成文法はチョムスキーがハーバード大学でジュニア・フェローとして過ごした時の考察に端を発する。

一方で、生成文法の徹底した演繹的な手法や言語の自律性を強調する点に関して、いくつかの立場から批判がなされている。たとえば、認知言語学は言語を人間の認知体系から自律させて考えることに批判的な立場であり、人間の脳内に自律的に言語を司るモジュールが存在するとする生成文法の仮説を批判している。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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ジョン・グリンダー

NLP は、70 年代初期に、カリフォルニア大学サンタ クルーズ校 (UCSC) でジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーによって共同創始されました。

これら二人の NLP 共同創始者と、ロバート・ディルツとジュディス・ディロージャの二人の NLP 共同開発者の 4 人は、通常「NLP 四天王」と呼ばれています。

二人の共同創始者は当時、UCSC でグレゴリー・ベイツンの学生で、1975 年にその最初の書である『魔法の構造、第 1 巻』を出版しました。この書では、ミルトン H. エリクソンを始めとする「療法の魔法使い」をモデル化することにより、言語の文法または数学の公式に匹敵する人間の言語コミュニケーションの規則を抽出しようとしました。

ジョン・グリンダーは変形生成文法の言語学者で、NLP の理論的な開発に大いに貢献しました。グリンダーとジュディス・ディロージャが 80 年代の終わりに「個人的な天才のための必須条件」と名づけられた一連の共同ワークショップを開講したとき、彼のこの方向性は特に明白になりました。(この一連のワークショップの一部の内容は『個人的な天才になるための必要条件』に記されています。)

最近のグリンダーは、トレーニング パートナーのカルメン ボスティックとともに、「ニューコード NLP」トレーニング ワークを提供してきています。

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リチャード・バンドラー

NLP は、70 年代初期に、カリフォルニア大学サンタ クルーズ校 (UCSC) でジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーによって共同創始されました。

これら二人の NLP 共同創始者と、ロバート・ディルツとジュディス・ディロージャの二人の NLP 共同開発者の 4 人は、通常「NLP 四天王」と呼ばれています。

二人の共同創始者は当時、UCSC でグレゴリー・ベイツンの学生で、1975 年にその最初の書である『魔法の構造、第 1 巻』を出版しました。この書では、ミルトン H. エリクソンを始めとする「療法の魔法使い」をモデル化することにより、言語の文法または数学の公式に匹敵する人間の言語コミュニケーションの規則を抽出しようとしました。

バンドラーは当時、ゲシュタルト療法に深く関与していて、ゲシュタルトの創始者、フリッツ・パールズをモデル化しました。NLP は、グリンダーとバンドラーが、1975 年にその最初の書である「魔法の構造、第 1 巻」を出版したとき誕生しました。この書で、二人は、パールズ、エリクソン、家族療法の権威のバージニア・サティールのような療法の魔法使いの偉大なパフォーマンスレベルを達成することができる、一式の明示的なツールを紹介しました。

以来、バンドラーは、極度の恐怖症を治癒したり統合失調症患者を社会復帰させる「ブリーフ セラピー」タイプのテクニックを考案してきています。彼の主な貢献は「サブモダリティ テクニック」の発明 (またはむしろ発見) にあり、彼の最近のワークはこれらのテクニックと催眠の組み合わせに基づいています。著者 (北岡) が 1995 年にドイツのミュンヘンでリチャード・バンドラーから NLP トレーナーとしてトレーニングを受けたとき、バンドラーとの個人的な議論から、彼の「サブモダリティ テクニック」は彼自身のホログラフィーに関する長年の研究と、人間の脳の機能のし方へのその応用に基づいていることが明らかになりました。

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ロバート・ディルツ

NLP 共同開発者のロバート・ディルツとジュディス・ディロージャは、現在、カリフォルニア州サンタ クルーズ市で NLPU (NLP ユニバーシティ) を主催しています。

これら二人の NLP 共同開発者と、グリンダーおよびバンドラーの二人の NLP 共同創始者の 4 人は、通常「NLP 四天王」と呼ばれています。

NLPU では、全世界の NLP 実践者に対して最高レベルの NLP セミナーを開講しています。NLPU は、NLP 開発を含む NLP 資格認定プログラムを提供する主要団体です。NLPU は NLP の分野での最新の開発、応用、および創造的活動が最も活発な場所になっています。

ディルツは、ジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーが 1975 年 に NLP を創始して以来、NLP 共同開発者、著者、トレーナー、コンサルタントです。当初から長年に渡ってグリンダーとバンドラーの生徒で、ミルトン H. エリクソン、グレゴリー・ベイツンにも師事したディルツは、教育、創造性、健康、リーダーシップへの NLP の応用の領域での先駆者です。NLP の分野へのディルツの貢献には、ストラテジー、信念体系に関連した NLP テクニックの研究、「システミック NLP」として知られている開発が含まれています。ディルツのテクニック、モデルには、「信念統合」、「スペル ストラテジー」、「アレルギー テクニック」、「心身論理レベル」、「信念変更サイクル」、「生成 NLP パターン」、「NLP 統一場理論」、その他があります。

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ジュディス・ディロージャ

NLP 共同開発者のロバート・ディルツとジュディス・ディロージャは、現在、カリフォルニア州サンタ クルーズ市で NLPU (NLP ユニバーシティ) を主催しています。

これら二人の NLP 共同開発者と、グリンダーおよびバンドラーの二人の NLP 共同創始者の 4 人は、通常「NLP 四天王」と呼ばれています。

NLPU では、全世界の NLP 実践者に対して最高レベルの NLP セミナーを開講しています。NLPU は、NLP 開発を含む NLP 資格認定プログラムを提供する主要団体です。NLPU は NLP の分野での最新の開発、応用、および創造的活動が最も活発な場所になっています。

ディロージャは 1975 年以来NLPのトレーナー、共同開発者、考案者です。グリンダーおよびバンドラーに当初師事した学生グループの一員だったディロージャは、多くの NLP モデルとプロセスの開発に大きく貢献しました。1980 年にグリンダー、バンドラー、ディルツと「NLP、第一巻」を共同執筆したディロージャは、基本的 NLP テクニックのリフレーミング テクニック考案に関与しました。エリクソンに師事したディロージャは、トランス状態と比喩の活用に関してエリクソンをモデリングしました。このワークは、グリンダーとバンドラーと共同執筆した「ミルトン H. エリクソンの催眠テクニックのパターン、第二巻」で考察されています。

1980 年代には、NLP 共同創始者のジョン・グリンダーとともにワークショップ シリーズ「個人的な天才になるための必要条件」を共同開講しました。

彼女のワークは、「知識は、体が覚えるまでは、噂にすぎない (Knowledge is only rumour until it is in the body.)」に基づいた「身体統語 (Somatic Syntax)」のワークです。

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フリッツ・パールズ

フリッツ・パールズ (Friedrich (Frederick) Salomon Pearls、1893 年 7 月 8 日ベルリン生まれ、1970 年 3 月 14 日シカゴ没) は、著名なドイツ生まれのユダヤ系精神科医および心理療法家でした。

パールズは、妻のローラ・パールズとともに 1940 年代から発展させたセラピーのアプローチに対して「ゲシュタルト療法」という呼び方を考案しました。彼は、1964 年にカリフォルニアのエサレン研究所とかかわるようになりました。彼のアプローチは、ゲシュタルト心理学およびハンス・ユルゲン・ワルターのゲシュタルト理論心理療法に関連していましたが、同一ではありません。

ゲシュタルト療法の核心には、意識、すなわち、自己と環境の間に存在するフィーリング、行動、接触すべての一体性に関する意識の促進があります。

パールズは、しばしば 「ゲシュタルトの祈り」として引用される詩に関して、心理療法の領域を超えて広く引き合いに出されてきています。 このことは、その個人主義性が広く注目を浴びた 1960年代に特に当てはまりました。

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ヴァージニア・サティア

ヴァージニア・サティア (Virginia Satir、1916 年 6 月 26 日生まれ、1988 年 9 月 10 日没) は、特にその家族療法アプローチで知られた著名な米国心理療法家でした。 1964 年刊の『共同家族療法』、1972 年刊の『人々を作る』、1988 年刊の『新・人々を作る』等の著者として知られています。

彼女の業績は、リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーによって徹底的に研究されました。バンドラーとグリンダーは、サティア ワークを NLPの三つの抜本的モデルとして活用しました。バンドラー、グリンダー、サティアは、『家族とともに変化する』を 1976 年に出版しました。この書の副題は「人間としてのさらなる教育についての本」です。

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ミルトン H. エリクソン

NLP は、20 世紀の 2 人の偉大な人々、ミルトン H. エリクソンとグレゴリー・ベイツンの影響の下に生まれた。

ミルトン H. エリクソン (Milton H〔yland〕 Erickson, 1901年12月5日 - 1980年3月25日) は、天才的な催眠療法家として知られる精神科医、心理学者。 彼はアメリカ臨床催眠学会の創始者で、初代会長も勤めた。その他、アメリカ精神療法協会、アメリカ心理学会、アメリカ精神病理学会などのメンバー。

精神療法にしばしば斬新な手法を用いた事で知られる。エリクソンの影響を受けた弟子や共同研究者たちは、それぞれ独自の治療技法を構築し、総称して短期療法と呼ばれる一派を形成した。

彼の催眠テクニックと人生は、多くの著者によって充分記録に残されているが、その中には、エリクソン式催眠テクニックを世界に最初に紹介したパロ アルト グループの J・ヘイリー (グレゴリー・ベイツンによって指導された、カリフォルニア州パロ アルトの「MRI、メンタル リサーチ インスティチュート」 (精神研究所) の一員) がいた。

エリクソンは、NLP の共同創始者のジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーに多大な影響を与えた。実のところ、彼らにエリクソンを訪ずれるように助言したのは、グリンダーとバンドラーの師であったグレゴリー・ベイツンだった。エリクソンをモデル化した後に、二人は、1975 年にその最初の NLP 書である「魔法の構造、第 1 巻」を出版した。

一部オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
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ジョン・ウィークランド

1953 年から 1962 年まで、傑出した文化人類学者のグレゴリー・ベイツンと彼の研究チーム員だったジョン・ウィークランド, ジェイ・ヘイリー、ドン・ジャクソン、ウィリアム・フライは、これまでの行動科学の分野で最も重要で、影響力のある一連の研究プロジェクトを遂行しました。概念的枠組みとしてラッセルとホワイトヘッドの論理タイプの理論に基づいたこの研究の焦点は、コミュニケーションプロセス、文脈、逆説の性質について探求することにありました。

ベイツンと彼のチームの研究の最初の総合的な結果は、1956 年に出版された「統合失調症の理論に向かって」という画期的な論文でした。共同研究を行った 10 年の間、このグループは、70 以上の論文を出版しました。この草分け的な研究は、人間行動の理解に関して革新的なアプローチを提示して、また、そうすることで、結婚・家族療法や短時間療法の分野の大部分が基づいているコミュニケーション (相互作用) 理論の基盤を構築しました。

これらの研究プロジェクト以前は最も尊敬されていた文化人類学者の一人だったベイツンは、プロジェクトの後、最も重要なパイオニア的思索者および人間行動の理解のために応用されたサイバネティックスとコミュニケーション理論の主張者の一人としての評価を達成していき、文化人類学、精神医学、結婚・家族療法に関して最も影響力のある理論家の一人として活躍していきました。 研究チームの他のメンバーも、同様に、結婚・家族療法、および最近では、短時間療法の分野の創設に関して、重要な地位を占めてきています。

1958 年に、ドン・ジャクソンは、MRI (精神研究所) を創設しました。ジャクソンが指導する MRI には、ヴァージニア・サティア、ジュールズ・リスキン、そして後には、ポール・ウォツラウィックが参加し、結婚・家族療法の分野で最も創造性のある研究チームの一つを構成することになりました。ジャクソンは、独立した研究分野としての家族療法の代表的提唱者になりました。しばらくして、ジェイ・ヘイリーとジョン・ウィークランドがジャクソンが指導するMRI に参加しました。

ベイツン プロジェクト時に開始されたミルトン H. エリクソン研究の長年の経験をもとに、ジェイ・ヘイリーは、 「戦略的アプローチ」として知られるようになる方法を提唱し始めました。1967 年、ヘイリーは MRI を去り、フィラデルフィア幼児指導診療所で、サルバドール・ミニュチンとブラリオ・モンタルヴォとの 10 年間の共同研究に参加しました。

ジョン・ウィークランドは、ずっと MRI にとどまり、リチャード・フィッシュおよびポール・ウォツラウィックと共同研究に従事して、現在普及しているうちで最も影響力のある短時間療法モデルの一つである、「MRI 式短時間療法モデル」を開発しました。

このセクションの内容は、Don Jackson 公式 Web サイトから引用翻訳されています。

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ジェイ・ヘイリー

ジェイ・ヘイリー (Jay Haley) は、家族療法臨床家で、グレゴリー・ベイツンとともに、統合失調症の「ダブルバインド」理論の研究に携わり、ミルトン H. エリクソンの方法についての記録を残しました。彼は、現在、カリフォルニアのサンディエゴを基盤にしていて、アリアント国際大学の専門心理学カリフォルニア校で教えています。

ヘイリーのセラピーの方法 (彼は、セラピーの理論をもっていないと主張しています) は、クライアントが反応すべき創造的で挑発的な指示を強調します。

ヘイリーは、MRI の一員で、『アンコモン セラピー』でエリクソンの名前を世間一般に広めた人物です。

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ポール・ウォツラウィック

ポール・ウォツラウィック (Paul Watzlawick、1921 年 7 月 25 日、オーストリア生まれ) は、コミュニケーション理論と急進的構成主義の代表的な理論家の一人で、家族療法と一般心理療法の分野に非常に重要な影響を及ぼしています。

ウォツラウィックは、ベニス大学で心理学と言語学を学び、1949 年に卒業しました。その後、チューリッヒのユング研究所で研究しました。1957 年、彼は、エルサルバドル大学で研究を継続しました。

1960 年、ドン・ジャクソンは、ウォツラウィックをパロ アルトの MRI (精神研究所) に招聘しました。1967 年にはスタンフォード 大学の精神課で教鞭を取りました。現在、彼は、カリフォルニアに住み、研究を行っています。

北岡は、ウォツラウィックを最高のコミュニケーション アナリストの一人として評価しています。

約 40 年前の 1967 年 に出版された、ベイツンに捧げられた書、『人間コミュニケーションの語用論』で、 ウォツラウィック、ジャネット・バヴェラス、ドン・ジャクソンの三人の著者が、基本的な人間コミュニケーション パターンのほぼすべてを解明し、モデル化することに成功している事実は極めて驚くべきです。

さらに、ウォツラウィックがその著、『創出された現実』 (彼による編集)、『ミュンヒハウゼンの弁髪』等で (おそらく自分では無意識のまま) 古代東洋の精神世界の洞察の一部を現代的な西洋のコミュニケーション分析の観点から提唱していることは極めて興味深いことです。

一部オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳
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ジェフリー・ザイグ

ジェフリー・ザイグ (Jeffrey K. Zeig) は、エリクソン財団の創設者・理事です。彼は、エリクソン式心理療法、催眠、短時間療法、折衷心理療法を対象にした 12 冊の専門書と 5 つの研究論文の著者、編者、共同編者です。彼の業績については、2 冊の本が書かれています。ザイグの著書は、9 ヶ国語に翻訳されています。

ザイグは、 「心理療法と短時間療法の進化」大会の立案者です。また、6 回の「催眠および心理療法のエリクソン式アプローチ国際大会」の主催者です。ザイグは、数多くの機関紙の編集委員で、米国心理学協会 (第 29 心理療法部門) の特別会員、米国臨床催眠協会の認可コンサルタント、米国結婚・家族療法協会の認可指導員です。


Jeffrey Zeig の Web サイトより引用翻訳

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ステーブ・ギリガン

ステーブ・ギリガン (Stephen G. Gilligan、1954 年米国生まれ) は、現代催眠療法の創始者であるミルトン H. エリクソンの最初の生徒および業績継承者の一人です。ギリガンは、催眠領域でのワークで最もよく知られています。彼は、過去 20 年にわたって、エリクソン式催眠と心理療法の代表的紹介者です。

エリクソンはコミュニケーションとしての催眠を強調しましたが、ギリガンは、これをスタート地点として、「自己関係性」と呼ばれる分野を開拓しました。このワークは、症状はすべてコミュニケーションであるというエリクソンの観点に基づいて、共通の「人間の条件」は、技能と指導のないまま覚醒しようとしている試みであると見なします。ギリガンのワークは、このため、「支援」を使って精神を覚醒することに焦点を合わせます。また、支援が人間精神の覚醒に不可欠と見なされている他の伝統の中に類似点を見つけようとします。

ギリガンは、カリフォルニア在住で、合気道の実践者です。催眠、催眠療法、エリクソン ワークに関する数冊の書と多くの論文の著者です。

一部オンライン百科事典『Wikipedia (英語バージョン)』より引用翻訳
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スティーブ・ランクトン

スティーブ・ランクトン (Stephen Lankton) は、メンタル ヘルスと企業コンサルテーションの二つの専門分野で過去 32 年間活躍してきています。ランクトンは、世界じゅうの 30 ヶ国で博士・修士レベルの臨床家に教えてきました。彼は、基調演説者、語り手、著者です。また、フェニックス エリクソン式療法研究所の執行理事です。彼は、米国臨床催眠機関誌の編集者で、フェニックス臨床催眠協会代表です。1994 年、エリクソン財団は、 「心理療法の分野への卓越した貢献のための障害達成賞」をランクトンに授与しました。

ランクトンは、NLP 創始以前 NLP を共同開発していた人物で、1980年刊の『実用的な魔法』という NLP 入門書の著者です。

一部 Stephen Lankton の Web サイトより引用翻訳
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スティーブ・デ・シェーザ

スティーブ デ・シェーザ (1940 年 6 月 25 日ミルウォーキー生まれ、2005 年 9 月 11 日ウィーン没) は、心理療法家、「ソリューション フォーカス ブリーフ セラピー (解決志向短時間療法)」の開発者、先駆者です。1978 年に、デ・シェーザは、妻のインソー・キム・バーグとともに、ウィンコンシン州ミルウォーキーに短時間家族療法センター (BFTC) を創設しました。

彼は、6 冊の主要書の著者ですが、これらは 14 ヶ国語に翻訳されています。論文も多く書き、国際的に講演も行いました。

デ・シェーザは、当初、クラシックの演奏家としての訓練を受け、ジャズのサックスフォン プレーヤーとして活躍しました。彼は、ミルウォーキーのウィンコンシン大学で芸術学士号、社会福祉学修士号を取得しました。彼は、一部で言われているように、カリフォルニア州パロ アルトの MRI で研究したことはありません。 ただし、デ・シェーザは、ジョン・ウィークランドの生涯の友人で、 彼を自分の師として仰いでいました。

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アーネスト・ロシ

国際的に知られた心理療法家、心身治療の心理生物学の教師・先駆者であるアーネスト・ロシ ( Ernest Lawrence Rossi) は、20 冊以上の著者で、療法催眠、夢、意識の心理社会的遺伝物質機能の促進、自己啓発、最適な健康と治療について 150 以上の科学的論文を書いています。彼と妻のキャサリン・レーヌ・ロシは、カリフォルニア州ロスオソスで独立開業しています。

ロシは、ミルトン H. エリクソンの全四巻本全集の編者です。

また、非常に興味深い用語である「SDMLB (State-depending Memory, Learning and Behaviour、状態依存の記憶、学習、行動)」の考案者です。

一部 Ernest Rossi の Web サイトより引用翻訳
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ケン・ウィルバー

ケン・ウィルバー(Kenneth Earl Wilber Junior, 1949年1月31日 - )は、アメリカの現代思想家。アメリカ合衆国のオクラホマ州に生まれ。インテグラル思想の提唱者。20以上にも及ぶ著作は世界中の言語に翻訳され、専門家・一般読者の双方に幅広く読まれている。 代表作は『進化の構造』(Sex, ecology, spirituality / Shambhala, 1995)、 『宗教と科学の統合』(The marriage of sense and soul / Random House, 1998)、『万物の歴史』(A Brief history of Everything / Shambhala, 1996)など。 著作活動以外では、インテグラル思想の研究組織であるIntegral Instituteの主催、そして、2005年には総合大学であるIntegral Universityを発足、現在同大学のPresidentとして運営の中核を担っている。トランスパーソナル心理学の代表的論客。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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チャールズ・タルト

チャールズ T. タルト (Charles T. Tart、1937 年生まれ) は、トランスパーソナル心理学の分野の創始者の一人として行った意識 (特に、変性意識状態) の性質についての心理学的研究と、科学的超心理学の研究で国際的に知られています。タルト著の 1969 年刊の『変性意識状態』および 1975 年刊の『トランスパーソナル心理学』の二冊の古典書は、広く使われるテキストブックとなり、これらの分野が現代心理学の一部として受け入れられるようになることに貢献しました。

チャールズ・タルトは、1937 年にニュージャージー州トレントンに生まれ、育ちました。彼は、十代アマチュアラジオの愛好家で、ラジオ エンジニアとして働きました。タルトは、MIT (マサチューセッツ工科大学) で電気工学を学んだ後、心理学者になりました。彼は、1963 年、ノース カロライナ大学から心理学の博士号を取得しました。その後、スタンフォード大学で、アーネスト・ヒルガード教授から博士課程終了後の催眠研究研修を受けました。

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スタニスラフ・グロフ

スタニスラフ・グロフ (Stanislav Grof、1931 年チェコ プラハ生まれ) は、 トランスパーソナル心理学の分野の創始者の一人で、治療、成長、洞察のための変性意識状態の活用に関して先駆的研究者です。

グロフは、特に、「サイケデリック心理療法」の分野での、1960 年代に行った LSD とその精神への影響に関する研究で知られています。彼は、胎児期および出産期心理学とトランスパーソナル心理学の理論的枠組みを構築しました。この理論的枠組みでは、LSD トリップやその他のパワフルな情緒的経験と、初期の胎児および新生児経験とのマッピングが行われました。

やがて、この理論は、深い人間精神に関する詳細なマッピングへと発展しました。1960 年代降半の LSD 使用の非合法化の後、グロフは、これらの精神状態の多くは、ドラッグを使わなくても、支援的な環境での特定の呼吸テクニックを通じて探求できることを発見しました。グロフは、現在、「ホロトロピック ブレスワーク」の名称のもとでこのワークを継続させています。

グロフは、1977 年に創設された国際トランスパーソナル協会 (ITA) の初代会長です。

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カール・グスタフ・ユング

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学の理論を創始した。

共同研究者や後継者たち共に、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。またアスコナで開催されたエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。

フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになり、後にフロイトと別れた。

ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点がある事、また、それらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多い事を見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、共時性(シンクロニシティー)の概念を提起した。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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シグモント・フロイト

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856年5月6日 - 1939年9月23日)は、オーストリアの精神分析学者。生まれた時の名はジギスムント・シュローモ・フロイト(Sigismund Schlomo Freud)だが、21歳の時にSigmundと改めた。オーストリアの東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)の家庭に生まれた。神経病理学者を経て精神科医となり、神経症研究、自由連想法、無意識研究、精神分析の創始を行い、さらに精神力動論を展開した。(彼自身、自分が心理学者であるという事を一言も述べていない。よって、彼が心理学者であると後世の人々が思っているのは間違いである。)

フロイトの記録した数々の有名な症例報告は、彼の非常に詳細で精密な観察眼を示すものであり、現在においても研究に値するものである。精神力動論は、その後彼の弟子達に伝えられ、様々な学派により改良され、現在でも精神医学のみならず、現代の文化・人間理解に大きな影響を与えている。(ちなみに、彼の考え方を丸々受け継いだ弟子はいない。よって、弟子達は彼の考え方のどこかしらを必ず批判した上で、独自の精神医学の考え方を生み出していった。)その研究は、後の世の精神医学、臨床心理学などの基礎となってきたが、やはり現代ではもはや古典である。フロイトの理論は、「一般的」なものではなく、かれ自身患っていた症状について詳しく記述しただけで、一事例の事例報告でしかない」という批判も現在ではある。

オンライン百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

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注意 1: 上記の相関図の各人物の名前をクリックすると、その人の説明セクションにアクセスできます。
注意 2: 今後も、この相関図は追加拡張させていく予定です。
注意 3 上記の記述で、一部引用文への追加執筆と英文の引用翻訳はすべて北岡泰典によるものです。
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